PTAを辞めて、見えたこと、考えたこと。

「川崎市内の単位PTAにおける強制加入廃止を求める請願書」への署名活動の報告。PTA退会記録も。

PTAを退会するまでの流れ(その1)

私が小学校PTAを退会するまでの流れ(その1)です。

 

2015年4月 上の子、小学校に入学。委員をやらずにすむ。

当時はよくわからず、「PTAは絶対にやらなければならないもの」だと思っていた。

下の子が未就園児で、すぐ走り出すような子だったので、「委員には来年度以降になろう」と傍観。子供が低学年のうちに委員をやっておくと楽という話があるせいか、委員決めは瞬殺で終り、まったく問題なかった。

 

2016年4月 またも委員をやらずにすむ。

恐る恐る手を挙げるも、友達同士で立候補するリア充ママ達でさっさと決まってしまい、委員をやらずにすむ。

 

2016年5月頃 ラジオで「PTAは強制加入ではない」と初めて知る。 

2016年4月29日放送、TBSラジオ『荻上チキ・Session-22』「ここがヘンだよ日本の学校、第三弾/みんなで考えよう、これからのPTA」▼木村草太×大塚玲子

荻上チキ・Session-22』は、もともと好きなラジオ番組で、PTAについて調べていたというわけではなく、たまたま聴いて衝撃を受けた。リアルタイムではなく、Podcastで聴いたと思う。

 

2017年4月 またまた委員をやらずにすむ。

「PTAは強制加入ではない」という知識が入っても、我が子が通う小学校で波風を立てたくないので、そっと手を挙げてみた。委員決めのじゃんけんで負けて、委員にならずにすむ。

 

2017年秋頃 夫がPTAの本部役員になる案がでる。

私があまりに嫌がっていたので、夫が「自分がやろうか?」という話になった。しかし、何かを始める前に、ひととおりその分野に関する本を読み漁る夫は、勉強したせいで「PTAには関わりたくない」となってしまった。

 

2018年4月 四度目の正直もなく、委員をやらずにすむ。

我が子が通う小学校は、全校生徒1000人を超えるマンモス校。ちなみに、上の子の学年の人数は200人以上いるので、全委員の人数×6年で考えると、30人ほど委員をやらずに卒業できる計算になっている。

この頃の私は、「できればPTAとは関わらずに卒業できる30人になりたいが、とりあえず手は挙げておこう」というスタンス。

 

2018年秋~冬頃 校長先生から「来年の委員決めでは、自ら立候補するように」という内容の手紙が来た。

ざっくり書くと、「あんた、まだ一度も委員をやっていないから、来年春の委員決めでは自ら立候補するように」というお叱り?命令?みたいな、失礼な手紙が来た。

乗り気ではないものの、一応、毎年手を挙げて立候補していたので、校長に言われる筋合いはないと、腹が立って捨ててしまった。PTA退会ブログをつけることになった今、せっかくの資料を捨ててしまったことを後悔。

 

続く。